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2012年4月

2012年4月27日 (金)

神の一手を求めて

 「最善の一手の追及・・何という喜びであろう」という言葉を言ったのは漫画『ヒカルの碁』の藤原佐為です。もちろんフィクションです。

 でもあの漫画は画も奇麗だし、話もよく練られていて名作だと思います。あれが囲碁じゃなくて将棋だったら良かったんですがねー(笑)

 まー、登場人物の誰が好きとかいうオタ話をし出すと脱線してしまうでしょうから、いずれ話すとしてここでは置いておきましょうww

 さて、先述した佐為の君は神の一手を極めるためにヒカル君に摂り憑いたのでした。しかしそれは、囲碁だけでなく将棋を指す人、またアマプロなど棋力を問わず誰にとっても同じ目標であると思います。

 将棋の指し手の場合の数は人知をはるかに超え、最先端のスーパーコンピュータでも計算し尽くせないほどです。

 しかし、人間は脳で無駄な手、つまり最善手からは程遠い手の読みを省略し、その局面局面において正しい手を読み、指すことで詰みというゴールを目指すわけです。

 「神の一手」とタイトルで謳いましたが、将棋は一手で決まるものではありません。「神の一手」というのが100点満点で100点の手であるとするならば、たとえ次の一手の問題で100点の手を指せても、一局を通してずっと100点の手を指し続けることは困難です。プロでも見落としや読み違いはあるのですから、将棋にあまり時間を割けない我々アマチュアには程遠い話であるように思います。

 しかし、勝つためには100点の手を指す必要はないと思います。だから、ある局面で一手だけ100点の手を指すより、一局を通して終始70~80点の手を指し続けることができた方に結果として勝ちが転がり込むのです。

 有段者になると、この70~80点の手の押収です。というか、良さそうな手が2,3見え、それについて更に読みを深めていき、その中から一手を見つけてそれを指すわけです。つまり、その瞬間に自分の頭の中ではその手が100点であるわけです。でも、それが間違っていたりするから将棋は難しい。

 逆に、分からない時、すなわち指し手に点数を付けられない時もあります。それは読み切れなくて自信がない、相手玉の詰みの形を描けない、など理由は様々です。でも指さなければ将棋は進まず、分らないまま指していればある程度形になっていくから将棋は難しい。

 さて、書いているうちに何を言いたいのか分からなくなってきましたww

 とりあえず、こういうことをふと考えた一局を御覧ください。

 相手の方の棋力は五段とありますが、レーティングでいうと当時2400。自分にとっては格上挑戦で金星を勝ち取ったわけですが、指している最中は終始自信がありませんでした。早指しで時間が短い将棋だったから、読み切れなかったというのもあります。きっと相手も同じ気持ちだったのでしょう。

 でも、この将棋は改めて並べ直しても勝った実感が持てません。本譜よりもっと良い手があるようにも見えるし、本譜で良かったようにも思える。

 持論として、自分が勝った将棋からは得るものが少ないと思います。勝局というのは、とりあえず自分を出し切って勝てたわけですから、自分が改めて考えても鉱脈の発見の可能性が少ないわけじゃないですか。なので自分で考える気にはならない。

 こういう時便利なのはコンピュータですよね(^^)/あーだこーだ文句垂れずにせっせと棋譜を解析してくれるから楽です。今ではフリーでも強いソフトがあるので、コンピュータを使った棋譜解析については、いずれ回を取って紹介しようと思います。

 何かあちらこちらに思索が飛んで、最初に書こうとしていたことが書き切れなかった気もします(笑)長い自慢話にお付き合い下さり、ありがとうございました。

2012年4月26日 (木)

棋譜並べについて Vol.2 ~ 棋譜の表と裏 -理論編1- ~

前回は「棋譜並べに目的意識を持て」ということをお話ししました。そのことについて少しおさらいします。


 棋譜とは記録であり、それを見れば駒の動きが盤上で再現できます。

他の分野で言うと、料理でいうレシピ、音楽でいう楽譜と似ていますが、レシピや楽譜では全く同じようには再現できない。書いている通りやってみても、どうしても個人の咀嚼が入ってしまい、作者と全く同じになることがありません。「塩こしょう少々」なんて、完全に個人のフィーリングでしょう?そのように個人のバイアスが入るのが、芸術が芸術たる所以なのです。

ところが棋譜は、「2六歩」と書いてあれば、老若男女、国籍、社会的立場関係なく誰であっても2六のマス目に歩を置かなければいけません。いつ誰がやっても同じ一局を並べられるのです。科学の言葉で言うと「再現性がある」わけです。

 でも棋譜を並べても、そこから得るものは人それぞれ違うわけですね。

例えばビジネスの世界で言うと、営業の人が何か商品を売ろうとしている、それを新しい取引先に紹介するためにパンフレットを持たされますよね。そのパンフレットは会社が出しているもので、営業の人には皆同じものが配られるわけです。しかし、業績にはおのずと差が出る。この理由の一つに、営業のパンフレットの利用の仕方が違うわけです。ただ、読み上げるだけで契約が取れるなら、誰も苦労しないわけです。できる人にはできる人のやり方があるはず。

棋譜もパンフレットと同じです。うまい使いこなし方を考えていくべきなのです。


 さて前置きが長くなりましたが、本題にある通り「棋譜の表と裏」についてお話ししてまいりましょう。

一口に「表と裏」といってもいろんな解釈があります。中には怪しく聞こえる方もいらっしゃるかもしれません。社会で言うと「ホンネとタテマエ」みたいなニュアンスですね。

でも、僕が考える「表と裏」はそんな怪しいものではありません。


 ではまず、棋譜の「表」とは何か。

棋譜は将棋の指し手を記録するものだから、「▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩」と書いただけで、この文は棋譜の役割を果たします。つまり、指し手だけ書かれていれば最低限いいわけです。


 でも、棋譜の中には指し手以外の情報もあります。

どんな情報が記載されるか、僕が使っているPCソフトから書き出した棋譜(一部)を以下に掲載してみましょう。

# ----  Kifu for Windows V7 V7.02 棋譜ファイル  ----
開始日時:2012/04/02 19:43:19
棋戦:自由対局室(早指2)
戦型:▲右玉・糸谷流vs△5筋位取り中飛車穴熊
持ち時間:1分+30秒
消費時間:▲4分22秒△4分47秒
場所:将棋倶楽部24
手合割:平手  
先手:テディ
後手:将棋倶楽部24 三段
手数----指手---------消費時間--
*コメントはここに書かれる。
   1 7六歩(77)   ( 0:05/00:00:05)
   2 3四歩(33)   ( 0:02/00:00:02)
   3 2六歩(27)   ( 0:02/00:00:07)
   4 5四歩(53)   ( 0:04/00:00:06)
*ゴキゲン中飛車の出だし。
   5 6六歩(67)   ( 0:03/00:00:10)


ご存知の方もいらっしゃると思いますが、これは柿木将棋のkif形式による棋譜の表記の一部です。
インターネットではこのkif形式が一番流通しているでしょう。他にはcsa形式などもありますが、僕はこのkif形式を自分の棋譜の記録によく用いています。
 ※csa形式はコンピュータ将棋のプログラミングを行っている人にとっては都合が良いものだそうです。詳しくは分かりませんが・・。

ご存知でない方も、見れば何となく何が書かれているか分ると思います。

「手数----指手---------消費時間--」以下に、「指し手」と「消費時間(その一手を指すのに何分かけたか)」が書かれています。


 消費時間からは、対局者が一手に考えた時間が分かります。消費時間が短いなら、その意味としてはたとえば、「前からの読み筋だった」とか「相手に考える時間を与えない」などの対局者の意図が読み取れます。逆に長いなら、「読み筋でなく長考した」とか「詰みを探していた」とか「自分の読みを確認していた」などの意味があるでしょうか。「トイレに行っていた」という意味もありそうです(笑)

 このように記録(数字や文字)から、その対局者の意図を読み取ろうとするのが、僕の言いたい棋譜の「裏」を読むことの一つであります。つまり指し手だけ、駒の動きだけ追えるだけじゃないんですね、棋譜って。


 その他には以下のような情報がありますね。それぞれ意味をまとめてみましょう。

開始日時:  ← いつ対局が行われたか
棋戦:      ← 対局がどのような場で行われたか
戦型:      ← どんな戦法を使ったか。定跡で名前が付いているものは、それを記す。
持ち時間:   ← 持ち時間は全部でどれくらいだったか。短いか長いかで、対局者の読める量や時間配分が変わる。
消費時間:  ← 持ち時間をどれくらい使ったか。あまり使わなかったということは、形勢に差があって分かりやすかったのだろう。
場所:      ← 対局が行われた場所。
手合割:    ← そのまま。平手、駒落ちなど。
先手:、後手: ← 先手、後手の対局者名・棋力などが書かれる。

 他には棋譜にコメントをつけることもできますね。
kif形式では、指し手の下に「*ゴキゲン中飛車の出だし。」などのように書かれます。新聞や雑誌には観戦記とか対局者のコメントが載ってますよね。そこに対局者の様子だったり、互いの読み筋などを付け加えておけるわけです。

こういったコメントがあるのとないのとでは大違いですよね。本譜に出てこなかった手順をいちいち自分で考え直さなくてもいいし、第三者である対局者の頭の中も垣間見られるわけですから。


 今までお話してきたように、棋譜の「表」とは記録に残っている文字や数字の羅列で、そういった記録だけからでは分からないことが棋譜の「裏」なのです。言い換えれば「表」とはデジタルな情報で、「裏」とはアナログな情報です(少し難しいでしょうか・・)。

 しかし、今回述べたことだけが「裏」ではないとは一言付け加えておきましょう。棋譜を並べているときや、観戦している際にそういった裏を読めるようになれれば、それは上達の証と言って間違いないでしょう。


 今回は「消費時間」から裏を読む例を少し考えてみました。
次回は他の要素、「対局者」「開始日時」などから裏を読む例をお話しましょう。

2012年4月21日 (土)

棋譜並べについて Vol.1 ~棋譜並べの意味とは~

将棋の勉強法の一つに棋譜並べがありますが、ただ漫然と棋譜を並べるだけでは芸がありません。

ここでは棋譜並べについて少し考えてみましょう。


  まず、「棋譜を並べることの意味とは何か?」について。


別に他人の将棋なんか並べなくても、自分で指している方が自分の頭で考えたり読んだりできるから鍛錬になるのじゃないか。そうやって実戦だけで強くなっていく“実戦派”の人もいます。

しかし、自分ではない他人の指した将棋を見るということは、自分にない感覚や読みの手を見ることができ、それを吸収して自分のものにする意味があるのです。

上手の陣形の取り方や駒捌きを見れば、何とはなくですが自分にはないリズムを感じ取ることができるはずです。自分の指す将棋のなかで、それと全く同じ局面が出てくるわけではないですが、似た局面で似たような筋を指すことができます。それが「上手の感覚を吸収する」という意味です。

他のたとえ話として、絵や音楽の世界のことを考えてみましょう。画家を志望する人は、昔の偉大な画家の絵をマネして書きますよね。これは、その画家のタッチを盗み、自分の絵に応用するのが目的です。また、音楽ではコピーバンドとかそうじゃないですか。自分で拙い曲を書いて演奏するより、メジャーな曲を演奏して、例えばギターならどういった指の運びをしているのかとかを盗んでいくわけですね。


また、棋譜並べの意味として、今まで述べてきたのとは別の意味もあります。

それはある程度実力がついてきて(有段前後は必要かと思います)、流行の戦法を知ること、つまり最先端の情報の取集のために棋譜を並べるのです。

これは勉強といえば勉強ですが、先ほどとは違った意味合いがあります。


まあ色々と長く書いてきましたが、ただ「強くなるため」といって棋譜を並べるのでなく、具体的に目的意識をもって棋譜を並べるのが重要といえます。


次回では、
  どんな棋譜を並べるべきか
について考えていこうと思います。

2012年4月16日 (月)

昔の自分と今の自分

もし今の自分がタイムマシンに乗って、過去の自分に会ったらどうなるか?誰しもが一度は考える疑問かと思います。

たとえば将棋なら、過去の自分と戦ったらどちらが強いか?というのが一番分かりやすい比較となるでしょう。

何故こんなことを考えたのかというと、自分の活動するサークルで「ブログで右四間飛車の記事を書くつもりでいる」という発言をしたので、今頭の中に散乱している研究を整理するために昔自分が指した右四間の棋譜を並べ直していたからです。

その棋譜が下の棋譜なのですが、これは8年前自分が右四間にハマッていた頃の棋譜です。確かこの戦型を知ったのは、大会に出たときに逆に右四間を指されて自分がどう対応していいか分からなかったからと記憶しています。ミイラ取りがミイラになった感じですね(笑)

さて、本譜を改めて並べ直していると、案外自分の将棋感覚が変わっていないのに気付きます。局面によっては、現在の第一勘と違う手を指していたりするのですが、昔より手厚く指すようになったと思っていたのに、この棋譜でも優勢になってからは落ち着いて勝っています。どうやら自分は、昔からあまり進歩していないようです^^;

まあ途中将棋から離れていた時期もありましたし、今もそんなに時間とって研究しているわけでもないし、昔から実戦派だし・・・と色々言い訳はありますw

でも確実に昔と変わったといえるのは、優勢になってからの逆転負けが少なくなった、勝ち切り方・逃げ切り方が上手くなったような気がします。逆に、序中盤で手厚く指したつもりで、安全な手を選ぶ度合いが上がったような気します。知識の量も含めて、エンドレスに対局を続ければ、今の自分が6割は勝つイメージですね。

これからも若かった自分を振り返りながら、過去の棋譜を整理して懐かしもうと思います。
さて読者の皆さん、あなたは昔の自分から今の自分は何が変わったと思われますか?

2012年4月13日 (金)

ミニチュアゲーム

「ミニチュアゲーム;Miniture Game」というのは
  手数の短いゲーム
という意味で、チェスの用語です。

チェスは最短2手(将棋で言う4手)で詰んでしまう“フールズメイト”に見られるように、一方が悪い手を指せばとても短手数で終わってしまいます。チェスでいうミニチュアゲームとは、大体20手前後で終わる対局のことです。

これはチェスが将棋と違って、駒の効きが多い(飛車+角の動きをするクイーン、角・飛車にあたるビショップ・ルークが2つある)こと、持ち駒による合い駒が利かないことに起因します。

このミニチュアゲーム、チェスではよくあるのですが、将棋ではなかなかない。形勢は傾いてもその後の手数が長くなって、詰みに至るまでは短くても80手くらいかかるのが通常です。横歩取りでは50手くらいで終わってしまったりしまいますが、それは戦型の特殊性でしょう。

ミニチュアゲームは指した本人にとっては気持ちの良いものではありませんが、並べて鑑賞するうえでは意義があると思います。なぜなら、悪手や異筋を的確にとがめた結果を見られるわけですから、手筋の勉強になるわけです。また、自分では「形」と思って指した手でも実際は最善ではなかったりする、その固定観念を破ってくれる意味もあります。

実際、チェスの書籍(洋書)では戦型ごとにミニチュアゲームを10局前後集めて、合計700局くらいをまとめた棋譜集も存在します。

将棋の世界では、まだそういった勉強法の理論が洗練されていない気がしますね。。

さて、今回の一局はミニチュアゲームと言える一局です。相手は(自称)三段の方ですが、入門書にもある筋が通用しています。そういった基礎的な手順は有段でも忘れてしまったり、盲点に入ったりすることはあるものです。

というか、書籍では説明をハショってたりするんで、定跡をなぞってれば知らないまま棋力が上がっていくこともあるわけで。。でも、定跡を外して構想を立てるようになったとき、こういった基本の筋は必ず頭に入れてスキを作らないことが大切になってきます。


2012年4月 9日 (月)

はじめに

「テディの将棋ログ」と題しまして、将棋の研究やら将棋の話題をマイペースに書いていこうと思います。
以前将棋のHP作ったことはあるのですが、ブログは初めてです。
どうぞよろしくお願いします。

ブログ上で棋譜再生するために、テストで棋譜を貼ってみました。
文字コードがUTF-8でないので、棋譜保存を押すと文字化けしたファイルが表示されてしまうようです;拡張子をkifuにしたりしてみましたが、未だ解決されず・・・^^;

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